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トミー・ドーシー ジミー・ドーシー スイング黄金時代 [音楽]

トミー・ドーシー.png


10代の頃、ラジオから流れる気に入ったジャズをカセットテープに録音し楽しんでおりましたが、(昭和生まれなもので・・)ユーチューブで大好きな曲に何十年かぶりに出会えて感激しました!!
青春時代、親しんでいた音との再会、スイングジャズへのマイブームが再燃です^^

30年代から40年代はスイングジャズの最盛期、白人系のビッグバンドが星の数ほどあったと言います。
この時代、生演奏でダンスをするボールルームもアメリカ全土に広がり、数多くのバンドが個性を競い合いながら人々のハッピーな時間を盛り上げていました。
その中でも華麗な演奏によって輝いていたバンドの一つに、トミー・ドーシー楽団があります。
彼はトロンボーン奏者で、「センチメンタル・ジェントルマン・オブ・スイング」と呼ばれ、特に甘いバラードが絶品。
スイング黄金時代を飾る一人として、高い人気を誇りました。
まだ無名だったシナトラを見出したのはハリー・ジェームスですが、彼の楽団を脱退したシナトラはトミー・ドーシー楽団へ移籍します。
そして彼の演奏から多くを学び、歌のテクニックに磨きをかけ、一際成長して巣立っていきました。
他にも、シナトラの人気を一時凌駕したディック・ヘイムズも専属歌手でした。
ビッグバンドには、新人を熟練した歌手に育て、成功させるといった機能もあったようです。

トミーにはジミーという1つ違いの兄がいて、兄弟は炭鉱夫の父親の勧めで、音楽で身を立てていく事を決意します。
20年代には、前回記事にしたポール・ホワイトマン楽団で活躍していた事もありました。
1934年、二人はドーシー・ブラザーズ・オーケストラを結成します。
グレン・ミラーもこのバンドにいたそうで、さすがいろいろな所で繋がってます^^
そして翌年、兄弟は音楽性の違いを巡って大喧嘩。
仲違いをした二人は、それぞれのバンマスになり独立した活動を始めるようになりますが、その後のトミーの活躍は周知の通りです。

ルイ・アームストロング楽団のテーマ曲でもある「明るい表通りで」を、トミー・ドーシーが大ヒットさせます。
兄のジミーの楽団も成功しましたが、人気は弟には及ばなかった模様、でも「タンジェリン」とかの素敵な曲があって私は好きですね~。

この様に数々の名曲、名演奏を発表してきたのですが、40年代半ば、終戦を迎える頃にはスイング全盛期も終りを告げ、他の楽団と同じように彼らも解散宣言をしました。
最初の大喧嘩から約20年もの歳月を経て、1953年二人はようやく和解をし、亡くなる年の56年までTV出演などしていたそうです。

その後、トミーが自宅で多量の睡眠薬を飲み51歳で他界してしまいますが、半年後にあとを追う様に兄のジミーも癌で他界します。
それぞれのやり方を貫いて、ライバルとして競い合った二人でしたが、やはり晩年は強い絆を確認した事でしょう・・・。

日本では未公開でしたが、「ドーシー兄弟物語」(,47)という伝記映画ビデオもありますので、気になった方は調べてみて下さいね。
ちなみに本人達が出ている珍しい映画だそうです。
ストーリーと言うよりも、ゲスト出演している豪華絢爛たるプレーヤーの名演奏が見どころとなっているようです。


ドーシ兄弟.png




ジミー・ドーシー楽団  「タンジェリン」





トミー・ドーシー楽団  「オー・ルック・アット・ミー・ナウ」





トミー・ドーシー楽団  「明るい表通りで」







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