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悲しみのモロ O morro nao tem vez [音楽]

ボサノバの世界の中心的な存在である、アントニオ・カルロス・ジョビンの「悲しみのモロ」

O morro nao tem vez
訳すると >スラム街にチャンスは訪れない< だそうです。






今年は常識を超えた奇妙なニュースも多かったけれど、総じて激動の一年だったと思います。
社会が大きく変化する、混迷を極めた過渡期と言えるのでしょうね。
悲惨なニュースを聞いてしまうと、例え自分の身ではなくても今ある幸せを心から喜べない性質なので、来年は事件事故が減って、悲しむ人が少しでもいなくなる事を願わせて頂きます。
その位しかできないのですが・・・

皆様にとっても、来年は良い年である事をお祈りしています☆




トミー・ドーシー ジミー・ドーシー スイング黄金時代 [音楽]

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10代の頃、ラジオから流れる気に入ったジャズをカセットテープに録音し楽しんでおりましたが、(昭和生まれなもので・・)ユーチューブで大好きな曲に何十年かぶりに出会えて感激しました!!
青春時代、親しんでいた音との再会、スイングジャズへのマイブームが再燃です^^

30年代から40年代はスイングジャズの最盛期、白人系のビッグバンドが星の数ほどあったと言います。
この時代、生演奏でダンスをするボールルームもアメリカ全土に広がり、数多くのバンドが個性を競い合いながら人々のハッピーな時間を盛り上げていました。
その中でも華麗な演奏によって輝いていたバンドの一つに、トミー・ドーシー楽団があります。
彼はトロンボーン奏者で、「センチメンタル・ジェントルマン・オブ・スイング」と呼ばれ、特に甘いバラードが絶品。
スイング黄金時代を飾る一人として、高い人気を誇りました。
まだ無名だったシナトラを見出したのはハリー・ジェームスですが、彼の楽団を脱退したシナトラはトミー・ドーシー楽団へ移籍します。
そして彼の演奏から多くを学び、歌のテクニックに磨きをかけ、一際成長して巣立っていきました。
他にも、シナトラの人気を一時凌駕したディック・ヘイムズも専属歌手でした。
ビッグバンドには、新人を熟練した歌手に育て、成功させるといった機能もあったようです。

トミーにはジミーという1つ違いの兄がいて、兄弟は炭鉱夫の父親の勧めで、音楽で身を立てていく事を決意します。
20年代には、前回記事にしたポール・ホワイトマン楽団で活躍していた事もありました。
1934年、二人はドーシー・ブラザーズ・オーケストラを結成します。
グレン・ミラーもこのバンドにいたそうで、さすがいろいろな所で繋がってます^^
そして翌年、兄弟は音楽性の違いを巡って大喧嘩。
仲違いをした二人は、それぞれのバンマスになり独立した活動を始めるようになりますが、その後のトミーの活躍は周知の通りです。

ルイ・アームストロング楽団のテーマ曲でもある「明るい表通りで」を、トミー・ドーシーが大ヒットさせます。
兄のジミーの楽団も成功しましたが、人気は弟には及ばなかった模様、でも「タンジェリン」とかの素敵な曲があって私は好きですね~。

この様に数々の名曲、名演奏を発表してきたのですが、40年代半ば、終戦を迎える頃にはスイング全盛期も終りを告げ、他の楽団と同じように彼らも解散宣言をしました。
最初の大喧嘩から約20年もの歳月を経て、1953年二人はようやく和解をし、亡くなる年の56年までTV出演などしていたそうです。

その後、トミーが自宅で多量の睡眠薬を飲み51歳で他界してしまいますが、半年後にあとを追う様に兄のジミーも癌で他界します。
それぞれのやり方を貫いて、ライバルとして競い合った二人でしたが、やはり晩年は強い絆を確認した事でしょう・・・。

日本では未公開でしたが、「ドーシー兄弟物語」(,47)という伝記映画のビデオもありますので、気になった方は調べてみて下さいね。
ちなみに本人達が出ている珍しい映画だそうです。
ストーリーと言うよりも、ゲスト出演している豪華絢爛たるプレーヤーの名演奏が見どころとなっているようです。


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ジミー・ドーシー楽団  「タンジェリン」





トミー・ドーシー楽団  「オー・ルック・アット・ミー・ナウ」





トミー・ドーシー楽団  「明るい表通りで」







ポール・ホワイトマン メルティングポット [音楽]

娯楽的なレビュー映画として、当時先進的な異色を放った1930年の映画「キング・オブ・ジャズ」。
以前もご紹介したポール・ホワイトマン(1890~1967)ですが、アメリカ音楽とは何かという問いを、テーマとしていた様です。
ホワイトマンは、G・ガーシュウィンの伝記映画1945年の「アメリカ交響楽」に本人として出演していたので見られ方はご存じと思いますが、2メートルの身長に140キロの体格を持つ大変印象深い人物。
ガーシュウィンにとっても、クラッシックとジャズを融合させたアメリカ音楽の象徴でもある「ラプソディ・イン・ブルー」の創作を依頼するなど、切っても切り離せない人物です。

ホワイトマンは指揮者の息子として生まれ、ヴァイオリンとヴィオラの専門教育を受けたクラシック畑の演奏者でしたが、当時、人気が急上昇していたデキシーランドジャズに魅入られ、ダンスバンドのリーダーとして1920年大きく方向転換。
全盛期のアメリカでの人気は大変なものだった様で、「キング・オブ・ジャズ」と自称するようになります。

今見ると大変色あせしていますが、これまでの無声映画からトーキー映画が成功した1927年から3年ほどしか経っていない事を考えると、テクニカラーで特撮もあると言う画期的な映画だったようです。
ちなみに日本でも翌年公開されたとの事です。


主な演目

「花嫁のヴェール」Bridal Veil
「モントレーにて」It Happened in Montrey
「公園のベンチ」Bench in the Park
「憂鬱狂想曲」Rhapsody in Blues
「つづれのロミオ」Ragamuffin Romeo
「ハッピー・フィート」Happy Feet
「黎明の歌」Song of the Daw
「メルティング・ポット」Melting Pot
など・・・



花嫁のベール


女優さん達が神秘的で美し過ぎる!!


ハッピーフィート


チャーミングな二人組は、古過ぎてG姉妹としか情報を得られませんでした。


メルティングポット


多民族国家アメリカを象徴する言葉として有名な、人種のるつぼ。
それぞれの音楽文化が互いに作用し、どのような化学変化を起こすのか、それがアメリカ独特の音楽文化を形成していくものとホワイトマンは考えていたのかも知れません。



ラヴェル 弦楽四重奏~第二楽章 [音楽]

蒸し暑い毎日ですが、耳に涼しい音楽は如何ですか?

弦を指で弾くピチカートが特徴的な、モーリス・ラヴェル 弦楽四重奏~第二楽章
澄んだヴァイオリンの音色が清々しい水の音のよう、森に浸み渡る清流の如く感じます。

弦楽四重奏は、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで構成されます。
オーストリアのハーゲン弦楽四重奏団、四兄弟だけあって息の合うハーモニーです。





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IN THE MOOD [音楽]

IN THE MOOD(Treville出版)という、50年代から60年代にかけてのムード音楽のジャケットを集めた本があります。
ページをめくってみると、まさにゴージャスで幻想的な魅惑の数々
流れるタイトルの曲線
夜空に散りばめられた星々
筆記体のアルファベットって、何故こんなに美しいのでしょう。
ジャケットからも想像できる様に、ストリングスを中心としたゆったりした音楽です。
洗練された、癒しのイージーリスニング
往年の映画のバックに静かに流れていそうな、甘美な音楽です。

古き良き時代の産物、継がれるべき貴重な宝だと思います。

イギリスの盲目のピアニスト、ジョージ・シアリング(George Shearing)の幻想的な美ジャケの数々

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スイートミュージックのキング、ジャッキー・グリースン(Jackie Gleason)







フランク・シナトラの曲を多く手掛け、重厚な編曲で魅力的にしたネルソン・リドル(Nelson Riddle)




小粋なスイング系ジャズピアニストでもある、ジョー・ブシュキン(Joe Bushkin)




今はジャケットの中身を、容易に視聴できる時代になりました。
見て楽しむだけの本と思っていましたが、思いがけずCDカタログになった事、嬉しい限りです。



Headbone Rollin‘in the Rearview [音楽]




映画「カーズ」の中で、マックィーンを輸送している走行中、トレーラーのマックは眠気に襲われ眠ってしまいます。
その時、悪者として登場するのが、改造されたスポーツコンパクトカー(暴走族?)
闇に輝く彼らがハイウエイに登場する時に流れる曲です。


「去りゆく君」「残されし恋には」 [音楽]

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「去りゆく君」 ジャン・サブロン




ジャン・サブロンが創唱。
作詞は記事の中でも度々ご紹介していますシャルル・トレネー。
父親も兄弟もみな音楽界の経歴を持ち、本人も17歳の時に歌手活動を始めました。
ジャズの影響を受けたソフトな歌声は、フランスのビング・クロスビーとも呼ばれました。
1936年、「去りゆく君」が大ヒットするとディスク大賞を受賞、一躍有名になり、アメリカに渡りコール・ポーターやジョージ・ガーシュウィンとの共演もあったそうです。


思い出すと、息が詰りそうだ
涙の、花の、キスの思い出の数々
そう、四月の晴れた朝が目に浮かぶ

僕を見もせず行く君
今晩は、とも言わない君
今夜こそ、少しでもいい、希望をくれないか
僕はとっても苦しんでいるんだ
こっちを見てほしいのに
いったいなぜ
今夜は僕を見もせず行ってしまうのか
一言、こう言いたい、<愛している>と
ばかみたいだろう、いかれているだろう
若いんだ、悲しいんだ
だから、僕を見もせず行く君
今夜、少しでも希望を与えてほしいんだ
だから僕を見もせず行く君
希望をくれもせず行く君
おさらばだ、さようなら




「残されし恋には」 シャルル・トレネー




シャルル・トレネーと、彼の伴奏楽団のリーダーをしていた、レオ・ショーリアックの合作。
1942年、ナチス占領下のパリで作られました。
戦後アメリカで「アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ」というポピュラーソングとしてヒットし、「夜霧の恋人たち」の主題歌になり、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ、ロッド・スチュアート、ナタリー・コールなども歌い、スタンダードジャズナンバーのように定着しました。


今夜、私のドアを叩いた風は
私に、過ぎた昔の恋を語りかけた
消えようとする火の前で・・・
今夜、それは秋の歌
冷えびえとする家の中で
私は遠い日々を想う・・・

私達の愛に何が残っているだろう
あの美しい日々の何が残っているだろう
一枚の写真、私の若かりし日の古い写真
愛の言葉をしるした紙切れ
四月の、逢いびき
いつも私につきまとう想い出
色あせた幸福
風になびかせた髪
飛び去った接吻
たゆとう夢
そんなものの、何が残っているだろう
私に教えてくれないか?
小さな村
古い鐘楼
風景
ひっそりと埋もれ
そして雲の中に
大切なおもかげ
私の過去の大切なおもかげ

言葉、ささやかれた優しい言葉
あんなにも純粋だった愛撫
森の奥での誓い
木にはさまれていた花
まだその香りが心を酔わすけれど
もう過ぎた昔のこと、どうしてだろう?



「モンマルトルの丘」「クロパン・クロポン」 [音楽]

深まる秋には、美しい情景が思い浮かぶシャンソンを聴きたくなります

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「モンマルトルの丘」 コラ・ヴォケール



名もなく貧しい行きずりの乙女に、詩人が恋をする切ない歌。

1954年の映画「フレンチ・カンカン」の主題歌。
作詞は、印象派の画家ルノワールの次男で監督のジャン・ルノワール。
作曲はオペレッタや映画音楽の分野でも活躍したジョルジュ・ヴァン・パリス。
「サン・ジェルマン・デ・プレの白い貴婦人」という異名を持つコラ・ヴォケールは、この映画の歌の吹き替えで成功のきっかけを掴みました。



サン・ヴァンサンの街角で
かの詩人が名も知れぬ
女と過ごした一時の
逢瀬は二度とめぐり来ず
春の朝今ひとたびの邂逅を
何処かの街の片隅に
詩人は女を偲びつつ
託した夢がこの愛の歌

蒼ざめた月の光は
髪飾をのっけた
お前の栗色の髪に
赤茶けた月の光は
泥んこの汚点をつけた
お前の透けたペチコートに
白い月の光は
お前の淫蕩な蛋白色の瞳を
優しく愛撫した
傷ついた私の心深く
しのび込んだ
街の女王様
貧しい者には
丘への石段は厳しいが
愛する者には
風車の羽は格好の隠れ家だ

私の手をまさぐる
お前のちいちゃなお手
ちいちゃな乞食よ
私の悲しみを拭う
お前の胸のふくらみと
お前のか細い体よ
私の唇に触れた
お前の熱い吐息
いじけた赤ちゃん
私を滅ぼす
泥酔に似た
お前の愛撫よ
貧しい者には
丘への石段は厳しいが
愛する者には
風車の羽は格好の隠れ家だ

だがそぼ降る雨に
月は隠れ
王女様、お前も消えた
月のない夜空に
私の夢ははかなく去り
さめざめと泣いた



「クロパン・クロポン」 ピエール・デュダン



題は足の不自由な人が歩く様子を模した擬音語。
どうにかこうにか、と言う意味もあります。
若い頃の夢も消えて、とぼとぼと敗残の人生を送るわびしい心境の歌。

シンガーソングライターのピエール・デュダンと、オランピア劇場の支配人だったブリューノ・コカトリックスとの合作。
英語歌詞では「コム・シ・コム・サ」という題でヒットしました。



僕の眼は天使のように可愛くて
えくぼもくっきり出ていた子供だったのに
おしめが取れたら頬もこけ
おもちゃも全部壊したさ
鏡に姿を映してみると
夢を見ていたことがわかったんだ
この顔にもなれなきゃなと一人つぶやく
なんとかなるさ・・・

足は重いけど出て行くよ
太陽と風を浴びながら
ときどき心はぐらつくけれど
思い出が多すぎて
足は重いけど出て行くよ
子供の気持ちのままで
ツバメが飛ぶみたいに
人生はすばやく逃げて行くから
子供のような心にはとてもつらいんだ
足は重いままで去る者にはね

二人で幸せだった日々
きみの柔らかい唇と、はちみつみたいに甘い香り
窓に額をくっつけあって
僕たちの視線は空に消えたんだ
駅では黒い列車が大きな音を立て
通りはむなしいくらい空っぽ
きみからさよなら、わからない言葉
手紙が来なくなってから、もう半年だ・・・




紙兎ロペ ~ジョイフルランドの歌~ [音楽]

ようこそ~、ジョイフルランド~♪
映画紙兎ロペの「つか夏休みラスイチってマジっすか!?」に出てくる脱力系ソング

ジョイフルと言えば三ノ輪橋を浮かべるままみですが、6時47分くらいになると家事の手を休めて、めざましテレビの前に張ってロペが始まるのをスタンバります。

ジョイフルランドは閉鎖されてもう大分経つらしく、歌には哀愁が漂っています。
パンチパーマのお父さんにつれて行ってもらった思い出を回想するシーンで流れます。

突然クイズ!アキラ先輩んちの工場は何を作っている工場でしょうか。(答え一番下)





「ファミレスのレシート 入れておく、なんか透明なちっちゃい筒あるじゃないですか、
あれを作ってます・・・」
(アキラ先輩談 しかも国内シェア93%だそうです)


バイアーナの心  [音楽]

バイアーナの心 ~「海の奇跡」より~




バイアーナの屋台で売っているものは
ヴァタバー、カルルー、ムングンザー
イオイオ(バイーナの若者)のための惚れ薬
もしお願いしたときはぼくにおくれ
きみの心を、イアイア(バイーナ娘)の愛を

バイアーナの心にあるものは
誘惑、魔法、夢、カンドンブレ
あなたのために
神に誓って、ボンフィンのキリストに誓って
どこからどこまでバイーナ娘のきみが欲しい
ええ、でもそのあとは
わたしたちふたりはどうなるの?
愛とはこんなにはかない、嘘つきのもの
ぼくはすべてをした、まじない師の所にまで
行った、僕の荷物を
きみと一緒にするために
でもそのあとで
また夢だったのだと気がつくはず
愛を支配するのは心なのだから



歌詞にちょっと解説を付けると・・・
ヴァタバーは、エビや魚やココナツミルクを煮込んで米粉の団子。
カルルーは山菜とエビの煮込み。
ムングンザーはトウモロコシとココナツミルクのスープ。
カンドンブレは、アフロ・ブラジル(アフリカの影響を色濃く受けたブラジル文化)の
宗教儀式で踊られる神々の踊り。

サンバ・ブラジルの作者、アリー・バローゾは、ブラジルの魅力はバイーアにあると気づき、
数多くの曲を作りましたが、その中の一つ。

バイーアはサンバの発祥地、ブラジルの北東部に位置する乾燥した貧しい地域ですが、
奴隷時代の足跡、強力な黒人文化が今に残っています。
ブラジルの最も美しい海岸線を持った、観光地としても人気の地方です。
ポルトガルの哀愁とアフリカの郷愁がミックスしたような、懐かしい雰囲気の街を想像します。


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「海の奇跡」は、ジョアン・ジルベルトが、軍事政権下での活動の苦悩を乗り越えた、若手のカエターノ・ヴェローゾ、その妹、マリア・ベターニア、ジルベルト・ジルに声をかけて作ったコラボレーションアルバム。
80年制作作品。
誰が言ったか「ブラジル音楽の聖書」と呼ばれており、歴史的名盤には違いないと思います。
収録曲は6曲なので、すぐに聞き終わってしまうけれど、1曲1曲が粒ぞろい。
美しく穏やかな海上の、風の音を聞く様な心地がします。
海から浮び上がったようなメロディ、透明感のある素敵な作品ばかりです。






ガル・コスタとカエターノ・ヴェローゾの「ノ・タブレイロ・ダ・バイアーナ」

髪型の面積と柄物の衣装が、とっても濃ゆーい2人ですが、カラオケのようなノリで歌っていて楽しそう☆


ここで、ちょっと軍事政権下のMPB(ブラジルのポピュラー音楽)事情ですが。。

ガル・コスタと、陽気に歌っているカエターノ兄さんですが、
60年代、MPBの革新を目指したトロピカリズモというムーブメントが、ブラジルの軍事独裁政権に対抗するとされたため、彼の歌は軍当局から度々検閲を受けていました。
それでもカエターノは、国際歌謡フェスティバルに出場し「禁止することを禁止する」を歌い、ジルベルト・ジルと共に、反政府活動のかどで刑務所に。
4カ月にも渡る過酷な投獄生活で、PTSDになってしまいます。
その後国外追放され、イギリスで亡命生活を送る事になりますが、この間ロンドンでロックだけでなく、レゲエなどのカリビアン音楽など、幅広いジャンルの音楽に触れ、大いに影響を受けたのです。
人生、塞翁が馬。
亡命した事で、カエターノの音楽性は一層豊かに広がりました。
その後当局と掛け合って、帰国のきっかけ作りをしてくれたのが、大先輩のジョアン・ジルベルトだったそうです。

帰国後のカエターノは、以前の様な曲を書く事はもうありませんでした。
曲を自由に発表できないご時勢の中で、活動を続けるために、抽象的で難解な曲作りをします。
当時、多くのMPBアーティスト達は、表現の自由が許されない検閲から逃れるため、彼と同じように難解な歌詞作りをしました。
MPBの持つ深みと哲学性。
暗殺事件もはびこる危険な時代では命がけです。
祖国に嫌気がさし海外移住したジョアン・ジルベルト。
やはりイギリスへと亡命したナラ・レオン。
それぞれが、苦悩する時代であったと思います。

軍事政権の時代が終わるまで、MPBアーティスト達は、複雑で厳しい現実を抱えていたのです。
MPBの芸術性は、このような葛藤や苦悩が磨き砂になったのかも知れません。
皮肉な事に、1985年、支配していた軍事政権が終わりを告げると、一旦MPBのブームは去っていきます。

ブラジルの、このような事情を知るまで、全くそれを感じさせないMPB。
風の様な、軽やかで美しいメロディは、いつまでも私たちを楽しませてくれます。